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大阪 新歌舞伎座楽屋にて
KENSYO vol.78

市川 右近

ICHIKAWA UKON

次の世代に託していくことが、
師匠やお客様へのご恩返し


市川 右近(いちかわ うこん)
澤瀉屋。1963年11月26日大阪に生まれる。日本舞踊飛鳥流家元・飛鳥峯王の長男。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。’72年6月京都南座「天一坊」一子忠右衛門で初舞台。’75年1月大阪新歌舞伎座「二人三番叟」附千歳で市川猿之助の部屋子となり市川右近を名乗る。
’89年松尾芸能賞新人賞、’90年咲くやこの花賞、’92年歌舞伎座賞、’94年名古屋ペンクラブ年間賞、’96年眞山青果賞奨励賞。2006年3月国立劇場優秀賞。


 清々しさが漂う真新しい楽屋。胡蝶蘭に囲まれ、笑顔で迎えてくれた姿を見て、一段と精悍さを増した印象を受けた。この九月、大阪・上本町に開場した新歌舞伎座の柿葺落興行。師匠である市川猿之助の総監修のもと、二十一世紀歌舞伎組の主軸として情熱が迸る力演で舞台を引っ張ったのが、この人だ。
 「柿葺落に出させていただくこと自体が幸せなこと。難波にあった新歌舞伎座には、子供の頃から師匠と何度も出演させて頂き、たくさんの思い出が詰まっています。その劇場の新たな歴史の門出に、歌舞伎の世界へ入るきっかけになった憧れの二演目を演らせていただけるとは。しかも大阪は生まれ故郷。いろんなことが、ひとつになった感じがします」
 感慨深げに、大役を任された喜びを口にする。「憧れの二演目」とは、子役として初舞台を踏んだ昭和四十七年六月の京都南座で、猿之助が主演していた舞踊『義経千本桜 吉野山』と『黒塚』だ。「この二演目を観て、歌舞伎役者の道を志し、憧れの師匠・猿之助の門弟に入れていただきました」。まさに人生を変えた演目である。
 「『吉野山』は、狐が両親の皮でできた初音の鼓を慕うというファンタジーの世界。そのファンタジックな歌舞伎の魅力に魅了されたところに、師匠が演じる狐忠信の童心と言いますか、永遠の少年のような無垢な気持ちが、当時たぶん無垢だった少年・右近にダイレクトに響いたんじゃないかと」。あふれる思いを語る表情に、少年の面影が見え隠れする。
 能をもとにした『黒塚』は、澤瀉屋(おもだかや)の家の芸・猿翁十種のひとつで、一門にとって大切な演目。とはいえ、安達ケ原の鬼女伝説を題材に、人間の業を描く奥深い作品が、当時八歳の男の子の心を捉えたとは意外だ。
 「何で演りたいと思ったのか、振り返って考えてみたんですよ。この舞踊の一番表現したいところが、鬼や仏の部分を持つ、人間の感情の振り幅。世を恨み、人を呪って生きてきた老女岩手が、今からでも悟りの道を開けば成仏できるとの教えを聞いて、ふと少女の様な気持ちになって、童唄に合わせて自分の影と戯れて踊る。これもきっと、岩手の無垢な気持ちが届いたんでしょうね。演じていると悟りのようなものに触れ、自分自身を育ててくれる感覚があります」
 無垢な思いに導かれて歌舞伎の世界へ足を踏み入れ、一門を率いる猿之助のそばで真っ直ぐに成長を続けてきた。まるで狐忠信が親を思慕して追うように、師匠の背中をただ一心に追いかけてきた感がある。
 「師匠は僕にとって、精神的支柱であり、絶対的な存在。これまで師匠が指し示してくださる方向に向かって生きてきましたから」
 猿之助譲りともいえる溌剌とした覇気のある演技、小気味良い爽やかな口跡。踊りも達者とあって頭角を現し、一門の若手を中心に結成された二十一世紀歌舞伎組の公演で、次々主役に取り組んできた。猿之助の当たり役にも挑んでいて、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』では、人間・ヤマトタケルの哀歓を描き出し、作品のテーマでもある“天翔ける心”を師匠から引き継いだ。
 大きな転機が訪れたのは七年前。猿之助が突然、病を患った。以来、療養のため猿之助は舞台を休演し、現在は演出家として歌舞伎と向き合っている。一門にとって、変革と言える衝撃的な出来事だったに違いない。
 「この数年は激動ですね。今まで師匠に甘えてきたんだなと思います。新歌舞伎座もそうですが、師匠の作ってこられたご縁や作品を大事にしていかないといけない。僕らに機会を与えていただいたことに、きっちりと気持ちでお応えして、何らかの結果を残していかないと。もう必死のパッチですよ(笑)」
 さすが大阪出身らしく、関西で一生懸命の最上級を示す“必死のパッチ”という言葉で、今の心構えを表現する。
 この数年、他の一門との舞台や朗読劇、翻訳劇など歌舞伎以外の演劇にも精力的に挑戦してきた。今秋放送のテレビドラマ『99年の愛〜ジャパニーズアメリカンズ』(TBS開局六十周年記念 五夜連続特別企画、十一月三日〜七日、午後九時)では、橋田壽賀子脚本の作品に初出演。「長台詞が大変でしたが、いい経験になりました」と微笑む。
 一門の他のメンバーも「他流試合を経験し、みんな目に見えて逞しく、頼もしくなっている」という。「それぞれが戦って得たものを持ち帰って、師匠・猿之助演出の作品に身を投じる。以前より力強さが全然違いますね」
 これからの目標を尋ねると、「師匠の創ってこられた猿之助四十八撰の作品や師匠の当たり狂言を、より多く演らせていただいて、次の世代に伝えていくこと。それに尽きると思うんです」と明快な答えが返ってきた。
 次の世代といえば、今春、長男が誕生したばかり。「子供も(歌舞伎を)やってくれるなら、うれしいですね。ただそうなると、僕がいかに一生懸命やるかが、子供の将来にも影響してくる。必死のパッチの二乗ぐらい頑張らないと(笑)。僕は門閥外ですが、師匠のおかげで今日まで恵まれて、大役をさせていただいている。本当に幸せなことだと思います。師匠から託していただいたものを、今度は次の世代に託していくことが、師匠やお客様へのご恩返しになると思っているんです」
 胸に抱く、強い使命感と責任感。それが、さらなる飛躍を引き寄せるはずである。


インタビュー・文/坂東 亜矢子 撮影/八木 洋一



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