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中村壱太郎

KENSYO vol.86
歌舞伎29 中村 壱太郎
Nakamura Kazutaro

“時分の花”
咲き誇る注目の女方

中村 壱太郎(なかむら かずたろう)

成駒屋。1990年8月3日東京生まれ。五代目中村翫雀の長男。祖父は人間国宝の四代目坂田藤十郎、母は日本舞踊吾妻流家元の吾妻徳彌。'91年11月京都・南座〈三代目中村鴈治郎襲名披露興行〉『廓文章』の藤屋手代で初お目見得。'95年1月大阪・中座〈五代目中村翫雀・三代目中村扇雀襲名披露興行〉『嫗山姥』の一子公時で初代中村壱太郎を名のり初舞台。2007年に史上最年少の16歳で大曲『鏡獅子』を踊り、'09年『封印切』の梅川を好演。'10年3月に『曽根崎心中』のお初という大役に役柄と同じ19歳で挑み見事に演じきった。'10年国立劇場奨励賞を受賞。

その日、壱太郎演じるお初は、十九歳の遊女の真(まこと)を、可憐な身体いっぱいに波打たせ、本当の愛とは何かを、私たちの胸に深く突きつけた。
ああ、ここにお初がいる─。
七月十九日、尼崎市のアルカイックホール。客席の暗闇で深い感慨にとらわれながら、近松門左衛門の名作「曽根崎心中」に新たな命が宿ったのを感じた。
今回は、壱太郎にとって、平成二十二年の初演以来二度目のお初であった。祖父・坂田藤十郎が昭和二十八年に復活初演してからほぼ一人で演じてきたお初を壱太郎が継承したのは、お初と同い年の十九歳の春。それは初々しく、父・中村翫雀ふんする徳兵衛に全力で向かってゆくお初であった。
しかし、二度目のお初には、近松が描いた「恋の手本」ともいうべき恋に生きる女の姿が体現されていた。お初を自分のものにしているのが感じられた。
「初演の時には祖父のお初の真似をすることがすべてでした。でも今回は、自分のお初を作っていきたいと思った。祖父も最後のお稽古しか見に来ませんでしたが、それは、自分で考えて作りなさい、ということだったのだと思います」
たおやなか美貌、ピュアな瞳は、祖父・藤十郎とはまた違う意味での生来のお初役者。加えて役に向かう真摯な姿勢は誰もが認めるところだ。初演時、取材で楽屋を訪れた折、「曽根崎心中」の台本を四冊手にし、読み比べながら勉強していたのを覚えている。
今回も、自分のお初を作るため、近松の原作を読み直したり、文楽の舞台を見たり、昨年、東京の国立劇場で上演された藤十郎のお初を見たり、直木賞作家、角田光代(かくたみつよ)の小説「曽根崎心中」を読んだりして多面的にアプローチした。
「いろんなことをやっていると、あるとき、ふっと作品自体が見えてくるんです」
「曽根崎心中」は成駒屋にとって特別な芝居。さらに、藤十郎が実践してきた「近松座」の三十周年記念公演だったこともあり、より深い感銘を与えた公演となった。
「多分、祖父はすごくうれしかったでしょうね。三十周年という祖父にとって集大成になった公演を、父や叔父(中村扇雀)、僕、いとこの虎之介、親戚の(中村)亀鶴さんという、ファミリーみんなで行うことができて…」と壱太郎もうれしそうに笑う。
東京生まれ、東京育ちだが、上方歌舞伎の家系の五代目という自覚と誇りが幼いころから自然に上方狂言に目を向けさせた。役どころも、お初を筆頭に、「封印切」の梅川、「引窓」のお早(はや)、上方演出による「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)・六段目」のおかるなど上方歌舞伎のヒロイン、大役を勤め、著しい成長を見せている。
また、片岡愛之助が座頭を勤める兵庫県豊岡市の「永楽館大歌舞伎」には毎回出演を果たし、坂東竹三郎や坂東薪車(しんしゃ)の自主公演にも積極的に参加し続ける。
「僕が女方の基本を教えていただいたのは竹三郎さんなんです。すごくかわいがって下さって、顔(化粧)の仕方、衣裳の着付けなど基本的なことからすべて教えてくださいました」
もうひとつの転機は坂東玉三郎と一座した舞台だった。一昨年九月の南座で、お願いして、楽屋で一から玉三郎が化粧をするのを見せてもらった。「『鳥居前』の静を勤めさせていただいたのですが、赤姫について丁寧に見てくださいました。赤姫特有の動きのしなやかさなどとても勉強になりました」
最近では三月の松竹座「秀山祭(しゅうざんさい)大歌舞伎」で演じた「熊谷陣屋(くまがいじんや)」の藤の方が忘れられない。なにしろ、熊谷を中村吉右衛門、相模(さがみ)を中村芝雀、義経を中村又五郎、弥陀六(みだろく)を中村歌六という大人の座組に入って、子を思う母の悲しみを気品ある演技でしっかり表現したからだ。
「あの舞台はあまりの緊張で、初めてのお稽古のとき、正座をし続けていたことを忘れて立てなくなってしまったんです」と打ち明ける。
大学四年生。若者から大人の役者になっていく過渡期にあり、いい意味での時分の花が咲き誇っている時代ではなかろうか。
「いま、一番やってみたいのは、上方狂言の『帯屋』です。祖父のように、丁稚と娘お半の二役をやって、お客さまに驚いていただきたい」
そのサービス精神こそ、上方役者の証。「上方歌舞伎を守っていく上で、つねに中心にいたいですね」
その瞳は上方歌舞伎の未来をまっすぐ見据えている。


インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/八木 洋一




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