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豊竹嶋大夫

KENSYO vol.87
太夫 豊竹 嶋大夫
Toyotake Shimatayu

豊竹 嶋大夫(とよたけ しまたゆう)

1932年愛媛県に生まれる。

1948年十代豊竹若大夫 に入門、二代豊竹呂賀大夫を名乗る。

1954年四代呂大夫を襲 名するが、1955年に退座。1968年に三代竹本春子大 夫の門下で復帰後、八代嶋大夫を襲名。1969年四代竹本越路大夫 門下となる。1994年切場語りとなる。

1994年芸術選奨文部大 臣賞、1995年紫綬褒章、2002年国立劇場文楽賞文 楽大賞、2008年旭日小綬章、2011年松尾芸能賞優秀賞 ほか多数。

人の心の奥深き・・・
重々しく深遠な語りに、場内が水を打ったように静まり返った。嶋大夫の歩んできた人生がそこに込められる。
「この一行に『仮名手本忠臣蔵』のすべてが集約されているといっても過言ではありません。それほど素晴らしい詞章です。この『山科閑居の段』は前半五十二分間ありますが、語り出して十分程で私は胸がぎゅっと痛くなる。恐ろしいほど奥の深い曲です」
平成二十四年十一月、大阪・国立文楽劇場で上演された通し狂言『仮名手本忠臣蔵』。文楽の現有戦力のすべてを結集した公演で、嶋大夫は、浄瑠璃中もっとも重く、格の高い曲とされる『九段目・山科閑居の段』の前半を語った。
初めて勤めたのは昭和六十三年。「若手主体の公演でしたので今回とは意味合いが違います。当時、私はまだ五十代でした。あれから二十四年。浄瑠璃の語りには人間性も人生もすべてが出ます。それだけの時間の流れがどういうものをもたらしたのか、考えるとやはり恐ろしい思いがします」
『山科閑居』を語るに際し、何度も「恐ろしい」という言葉を繰り返した。物語のクライマックスを語る「切場語り」となって十八年。全太夫中、たった四人にしか許されない最高の称号だ。ほかにも、芸術選奨文部大臣賞(平成六年)、紫綬褒章(同七年)、旭日小綬章(同二十年)と、数々の栄誉に包まれたベテランの言葉だけに、その重みは計り知れないものがある。
しかしその半生は、決して順風満帆ではなかった。
昭和二十三年、十代豊竹若大夫に入門、二代豊竹呂賀大夫を名乗って初舞台を踏み、二十九年に四代豊竹呂大夫を襲名。将来を嘱望される存在だったが、三十年、退座する。
「いろいろなことがありました。芸の上の悩み、家庭の事情・・・」。旅館業や広告の仕事をしていたが、昭和四十二年十月、五代豊竹呂大夫の襲名披露公演の祝いに駆け付けたところ、兄弟子の竹本春子大夫にそのまま料亭に連れて行かれ、その晩から文楽に戻ってくるよう説得された。
「『絶対、帰さない』とおっしゃって下さって・・・。これも亡くなられた若大夫師匠のお引き合わせだったと思います」
同年四月、若大夫が亡くなっていた。
十二年のブランク。本人は完全にやめたつもりだったが、腹帯など太夫の必需品は残してあった。車の運転中、つい、浄瑠璃が口をついて出ることもあった。
「結局、浄瑠璃が体にまとわりついて離れなかったったんでしょうねえ」。そう言いつつ、「十二年間、外の世界を見てきました。文楽にいたら決して体験できなかったことばかりです。そういう経験が芸に生きることがあるのではないかと思っています」
文楽に復帰するにあたって、二度の”テスト“があった。一回目は「十種香」、二回目は「絵本太功記・十段目」。
昭和四十三年四月、春子大夫の門下として復座、八代豊竹嶋大夫を名乗り再出発することになった。しかしわずか一年で春子大夫が急逝、四十四年に四代竹本越路大夫門下となる。
三人の師はそれぞれタイプが違った。
「一言で言うのもおこがましいですが、若大夫師匠は豪放、春子大夫師匠は美声で色気があり、越路大夫師匠は緻密でした。いま思いますと、三人の師匠の浄瑠璃を身近で聞かせていただいたこと、教えていただいたこと。それが私の財産になっています」としみじみ。
「芸というのは、まずは師に似ることから始まると思います。その上に自分の個性を加えていく。そうして、もっとも大事なのは、どう生きてきたか、ということではないでしょうか」
時代物、世話物と両方語るが、特に「十種香」の匂い立つような香しさ、「酒屋」の女心の切なさ、「壺坂観音霊験記」の夫婦愛が生んだ奇跡など、深く濃い情の表現に円熟の芸境を感じさせる。
自らの芸を極める一方、後進の育成にも力を尽くす。「弟子によく言うのは、何事にも『片寄りなさんな』ということです。恋愛もし、結婚もし、周りとのおつきあいも大切。ありきたりの人生の中に人間の情がある。情というのは人情だけではない。風が吹いても風情です。そういうものすべてが文楽の情の世界なんですよ」
平成二十五年一月、大阪・国立文楽劇場の初春公演で、「十種香」を勤める。八重垣姫の恋心が初春の大阪に甘やかに匂い立ってくることだろう。



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