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尾上菊之助

KENSYO vol.92
尾上 菊之助
Kikunosuke Onoe

歌舞伎界の花形スター
芝居の匂いを体にしみこませる
三十代

尾上 菊之助(おのえ きくのすけ)

音羽屋。1977年8月1日東京に生まれる。
七代目尾上菊五郎の長男。'84年2月、六代目尾上丑之助を名乗り『絵本牛若丸』の牛若丸で初舞台。'96年5月に『白浪五人男』の弁天小僧ほかで、五代目尾上菊之助を襲名。以降、輝くようなみずみずしい美貌と清潔な色気で女方、二枚目として存在感を見せている。
'96年浅草芸能大賞新人賞、'02年松尾芸能賞新人賞、'05年朝日舞台芸術賞、芸術選奨文部科学大臣賞新人賞、'05・'06・'11・'12年読売演劇大賞など多数受賞。

今冬、ソチ冬季五輪をテレビで夜遅くまで観戦、深い感銘を受けたという。
「特に、男子フィギュアの羽生結弦選手の演技と金メダルに感動しました。歌舞伎は難解だと言われることもありますが、オリンピックでも競技の詳しい規則は知らなくても感動できる。金メダル以上の感動を感じていただくために、自分は最大限の努力をしなければいけないと改めて思いました」

気品ある美貌、さわやかな風情。花形世代のリーダーのひとりとして毎月のように大役に挑んでいる。

数年前になるだろうか。大阪の国立文楽劇場のロビーで偶然見かけたことがあった。「絵本太功記」の公演中。白い清潔なシャツ姿で、ひとり静かに書物に目を通していた。幕間の喧噪のなか、彼の周囲だけ清らかな空気が流れていた。
「めったに上演されない段が今回、上演されるとうかがいましたので勉強に来ました」。声をかけると、そんな答えが返ってきた。
歌舞伎界の花形スターがたった一人で大阪まで文楽を見に来ている。勉強熱心さと精進が花となり実となり、舞台に表れていることに納得させられた。
「いまのお客さまは多様な情報の中にいらっしゃる。そんな現代社会で、歌舞伎を観に来ていただいて感動もしていただくために自分は何ができるかを考えたい」と真摯に語る。

三月、京都・南座の花形歌舞伎で大切な初役に挑んだ。
父・尾上菊五郎の当り役でもある「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の与三郎。土地の親分の愛妾、お富と情を通じたために全身に刀傷を受け、ゆすりかたりに身を落とす。
「しがねえ恋の情けが仇…」
菊之助は、悪党になり果てても、どこかに品と甘さの残る与三郎を、洗い上げられた美しい姿形と流麗な名台詞で体現してみせた。
幕切れ。通常は、お富が世話になっている和泉屋多左衛門が、実はお富の兄とわかったところで幕となる。しかし、菊之助は、その後に、与三郎がお富を抱き寄せ、酒を酌み交わすという結末まで演じた。
「初めて歌舞伎をご覧になる方も多いので、今回はわかりやすくしてみました。お客さまや場所に応じてやり方を変えるのも大切なことだと思います」

近年、祖父で人間国宝だった尾上梅幸、同じく人間国宝の父・菊五郎の当り役を継承する機会が多い。「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」の塩冶判官、「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」の玉手御前…。
「祖父や父の得意としたお役を勤めさせていただく時は特別な思いがありますね。お役を継承するということは、芸や形を受け継ぐということだけでなく、その思いも受け継がなければならないのではないでしょうか」
江戸歌舞伎の名門、音羽屋の跡継ぎとして生まれたが、父は厳しく育てた。
注意はされても、ほめられたことは一度もない。直系の跡継ぎなのに、「この家に生まれたからといって、当たり前に名跡を継げるものではない」と言われたこともあったという。
「その時代にもっとも努力した人が継ぐべきで、自分もそう思っています」

平成二十三年、東京の平成中村座に初出演した。「車引(くるまびき)」と「賀の祝(がのいわい)」の桜丸、「寺子屋」の源蔵、「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」の傾城墨染実は小町桜の精、「松浦の太鼓」の大高源吾。立役、女形ともに大役ばかり。これを一カ月間、演じきった。
「時代物、舞踊、せりふ劇と、ジャンルもさまざまで、のどを壊してしまいましたが、役を掘り下げる勉強をさせていただきました。このひと月は大変でした。でも自分を大きく成長させてくれたひと月でもありました」

演じてみたい役はたくさんある。江戸の世話物では「魚屋宗五郎(さかなやそうごろう)」「髪結新三(かみゆいしんざ)」、女方では「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の政岡を飯炊きの場面まで演じてみたい、舞踊劇では「身替座禅(みがわりざぜん)」「土蜘(つちぐも)」…。やはり家にゆかりの芸であり、祖父や父が大切にしている役どころだ。
五月の東京・歌舞伎座「團菊祭(だんきくさい)」で勤める「勧進帳」の富樫、「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」も一生かけて磨き上げていかねばならない役どころであろう。
「いまは芝居の匂いを体にしみこませている時期。三十代はそのことに専念したい」

先日、引退発表した文楽の人間国宝、竹本住大夫の記者会見での言葉が胸に突き刺さったという。
「師匠は、『死んでも稽古に行かなあきません』とおっしゃったそうです。私たちの仕事は、この言葉に尽きるんじゃないでしょうか」




インタビュー・文/亀岡 典子 写真提供/松竹株式会社



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