みつ恵の演劇の楽しみ
(演劇ライター・前田みつ恵)

2026年4月7日

    大阪松竹座は老朽化等での閉館で終わらず存続の希望が出てきた。「芝居街道頓堀」への灯りが消えずにすみそうだ。
    松竹は「大阪府・大阪市との対話を重ね(中略)道頓堀の培ってきた歴史を未来へ繋ぐべく新たな文化芸能の発信拠点の実現に向けて社をあげて全力で取り組んで参ります」と3月31日に発表。劇場再建への望みを残した。
    それに先立ち、4月公演「御名残四月大歌舞伎」(―4月26日まで)に向けて、3月28日に「坂田藤十郎七回忌追善顕彰祭」を道頓堀近くの高津宮で行い、29日に歌舞伎ファンや観光客で賑わう道頓堀で片岡仁左衛門をはじめ21人の俳優が16台の人力車に分乗して堺筋側からお練りを行い、劇場前で式典が開催された。

    ▽式典で松竹の迫本淳一会長は「お練りをさせて頂き、多くの皆様の温かいそして熱き声援を肌で感じ、よき演劇を続けてまいりたいという心の源泉となります。先人たちが築いてきたこの伝統を続けられるように微力ですが頑張ってまいる所存でございます。どうか引き続きのご支援、ご指導のほど賜りますこと、心からお願い申し上げます」と挨拶。
    人間国宝の片岡仁左衛門は「松竹座はとりあえず閉めますけれども、歌舞伎がダメで閉めるんじゃないんです。御名残公演というのは『お休み公演』でございます。必ず道頓堀に小屋が立つと思います。今日は大勢様ありがとうございます。この2か月間、非常に高い入場料ですけれども、その分、一生懸命頑張りますのでぜひおみ足をお運びくださいませ。今後ともご支援をよろしくお願いします」と述べ、手締めの発声では「まず第1に世界平和、そして皆様のご多幸、そして道頓堀にまた劇場が立つことを祈念いたしまして、皆様と共に手を締めたいと思います」と恒例の大阪締めで締めた。
    お天気もよく、通行人や観光客が行き交う道頓堀でのお練りはラッシュアワー並みの人混みだったが、大きな事故もなく無事に終え、式典での俳優らの挨拶も和やかでのどかな春の気配を感じさせた。

    ▽「坂田藤十郎七回忌追善顕彰祭」は、ゆかりの高津宮で追善と成功祈願を中村鴈治郎、中村扇雀、中村壱太郎、中村虎之介が行った。
    坂田藤十郎(1931―2020年)は、1941年二代目中村扇雀を名乗り初舞台。1953年の「曽根崎心中」復活でお初を初演。扇雀ブームを巻き起こし、生涯1400回を超える当たり役となった。女方と立役の両方を演じ、1981年、近松門左衛門の作品を上演する「近松座」を結成。1990年、三代目中村鴈治郎襲名。1997年、上方の言葉を話せる若手俳優を育成する「上方歌舞伎塾」の設立にも深く関わり卒塾生が幹部俳優の門下として活躍できる環境を整えるなど支援した。2005年、四代目坂田藤十郎を襲名。江戸時代に近松とコンビを組み写実的な演技「和事」を確立し上方歌舞伎の楚を築いた初代坂田藤十郎への憧れもあり、三代目以降、途絶えていた名跡を復活させた。当時、高津宮でお練りを行い、絵馬を奉納している。
    四月公演では坂田藤十郎襲名披露で上演した「夕霧名残の正月」の「由縁の月」を、中村壱太郎が夕霧、中村虎之介が伊左衛門を演じる。
    夜の部では三代目中村鴈治郎襲名披露で上演した「心中天網島・河庄」を四代目中村鴈治郎と三代目中村扇雀が治兵衛を、扇雀と壱太郎が小春をそれぞれ交代で演じる。虎之介は丁稚三五郎を演じる。
    鴈治郎は「七回忌追善を松竹座で出来て嬉しいです。坂田藤十郎という名前をもう一度、世に送り出して、上方歌舞伎を推し進めてきたことを改めて感じます。良い公演になりますように頑張ります」、扇雀は「上方歌舞伎というものを後世に残すことを人生の目標としていたのを横で見ていたものですから息子としては父の歩んできた道を引き継いで行くのが使命でもありますので頑張って残して行きたい」、壱太郎は「祖父にとてもゆかりのある神社だと思っていて、毎年、お参りに来ています。祖父は江戸歌舞伎と上方歌舞伎の両輪が栄えてこそ本当に歌舞伎の栄えることだと言っていたのを覚えているので、精一杯精進していきたい。追善の狂言を従兄弟の虎之介と一緒にひと芝居、持たせてもらえるということが本当にありがたいし、祖父の襲名狂言だということを噛み締めて演じたい」、虎之介は「少しでも成長した姿を祖父に見せられるようにという思いとともに、ここにきて祖父が築き上げてきたものにも顔にも泥を塗らないように頑張りたいと、すごく身が引き締まる思いになりました」と、藤十郎が人生をかけた上方歌舞伎への意気込みをかみしめていた。シネマ歌舞伎として坂田藤十郎が2009年に東京・歌舞伎座でお初を演じた「曽根崎心中」が10日から全国公開される。

     


 

★人形浄瑠璃文楽の人形遣いで人間国宝の二代目吉田玉男が、4月文楽公演(―4月26日まで)の第1、2部「菅原伝授手習鑑」ゆかりの大阪天満宮で成功祈願を行った。

    玉男は第1部で主役の三兄弟の父親・白太夫を遣う。大阪天満宮本殿で成功祈願をして境内にある白太夫社にも参拝した。

    平安時代、才智と徳を兼ね備え右大臣に推挙された菅原道真(菅丞相)の左遷を題材に、道真に仕える梅王丸、斎世親王の舎人の桜丸、道真を讒言で追い落とした左大臣の藤原時平に仕える松王丸ら三兄弟の運命と道真の「飛梅伝説」を絡めたスケールの大きい時代物で三大名作の一つ。
    松王丸、梅王丸、桜丸という三つ子の兄弟の父・四郎九郎は齢七十の祝いとして菅丞相から白太夫の名を拝領する。その誕生日の賀の祝に三兄弟の女房たちが白太夫の住む佐太村へとやって来る。遅れて来た松王丸と梅王丸の喧嘩が始まり、はずみで桜の木が折れる。二組の夫婦を帰してのち桜丸の思いが語られる。白太夫の親心、三つ子と嫁たちそれぞれの義と忠義、孝心が描かれる重要な場面だ。
    玉男は「竹本越路太夫の引退公演で師匠(初代吉田玉男)が白太夫を遣った舞台を今でも覚えてます。師匠は昼の部では菅丞相も遣い、お客さんもすごく喜ばれていました。嫁と楽しくやりとりをしながらも、心の中で桜丸のことを気にかけながらやりたいと思ってます。親として桜丸だけでなく松王丸や梅王丸の将来を心配している親心は、そこの場面だけでなく、のちに松王丸が自分の息子を犠牲にする思いにつながっていく。うまく描かれていると思います」と話す。玉男は2023年に人間国宝に認定され、この3月、日本芸術院の会員に選出された。
    演目等はチラシをご参照ください。


★現代劇・唐組第77回公演「鉛の兵隊」が4月17−19日、神戸・湊川公園内の特設紅テントで上演される。

    幼き頃に故郷の鷹栖で見た旭川第七師団の幽霊部隊の幻影に引きずられるかのように自衛官なった月寒七々雄は、戦禍の残るムサンナ州へと発つ。そんな弟を守ろうと冴は、スタントマン事務所「ドタンバ」の二風谷ケンに身代わりになるように依頼するが失敗。任期を終えて帰国した月寒は自己喪失していた。かつて路頭に迷っていた祖母とともに月寒家に救われた二風谷は、七々雄の失った“自己”を探しに行く。

    国際的な紛争解決や復興支援を目的に海外派遣される自衛隊のPKO(国連平和維持活動)の国際平和協力法が成立した後に、アンデルセンの童話「鉛の兵隊」を少し関連させながら描かれた。劇作家で演出家、俳優の唐十郎が書き下ろし2005年に初演した。今回13年ぶりに上演する。

    唐の演出をもとに共同演出する久保井研は「PKO法が成立した時代から何も変わっていない。愚かだなと思う。亡くなって2年になりますが、唐十郎って人間の良さとか面白さ、人間って捨てたもんじゃないよって、そういうことを物語の根っこに置いている人なんですけど、これが描かれてから何も終わってない。平和を願いながら裏で戦争の準備をするのも人間なんですよね。そういう愚かさみたいなものも物語の中で描ければいいなというふうに思います。至る所に悪意を持って作りたい。演劇は社会の問題や歪みを鋭く指摘する有効な手段であって欲しいなと思います。唐十郎という人もそうやってドラマを作って来たんでしょうし、演劇はエンターテインメントだけのものにはしたくない」と意欲的に取り組んでいる。
    神戸のあと、岡山、三重、東京、長野でも公演を行う。





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