能が好きで好きでたまらない─。幼い頃、能のとりこになった少年はいま、二十代半ばとなって能の底知れぬ深さに触れ、ますます能に取りつかれるようになった。
「舞台に出ることが楽しくてしょうがないんです。環境的に能に埋没できる幸せも感じています」
古典の能の修業はもちろんのこと、人気漫画「鬼滅の刃」の能狂言化の中心メンバーのひとりであり、大阪城天守閣のすぐ下に移動式能舞台を設置して薪能を企画上演するなど、新時代の能の可能性を拓く若手能楽師として注目の存在だ。
大阪を本拠に活動する観世流シテ方、赤松禎友の長男として生まれ、名子方として活躍。プライベートでも能ごっこをして遊ぶほど能が大好きだった。
高校一年生のとき、才能とやる気を見込まれて、父の師で、日本を代表する能楽師のひとり、人間国宝でもある大槻文藏の芸養子になった。
「舞台ひとつに対しても心構えや考え方が変わりました。もちろん、それまでも真剣に取り組んでいたつもりでしたが、考え方が子供というか、本当の厳しさを知らなかったんです」
芸養子になったことが運命を変えていく。
「最初に文藏先生に連れていっていただいのが、東京の亀井忠雄先生のところでした」
忠雄は葛野流大鼓方の人間国宝で現代の能楽界をけん引する重鎮。芸に対する厳しさでも知られている。以降、裕一は月に一度稽古に通うようになる。
大鼓の稽古の前に謡の稽古がある。声変わりと緊張で思ったように声が出ない。 間違えたり止まったりすると、一番最初に戻って何度も何度もやり直す。「最後には喉から血が出るんじゃないかと思うくらいでした。無限ループみたいでしたね」
忠雄は裕一に「おまえはシテ方の棟梁になるんだ」と言い渡したという。
「忠雄先生は『この舞台で死んでもいいという覚悟でやらないといけない』といつもおっしゃいます。忍耐力や精神力とともに能一番に対する気持ちを教えていただきました」
芸養子に迎えてくれた文藏とも、それまでとは次元の違う稽古が待っていた。二十歳までに観世流の現行曲約二百五十曲を覚えなければならなかった。
「ありがたかったのは、文藏先生ご自身が『檜垣』のお稽古をされたとき、僕が囃子の手を打ち、地謡もワキの謡もひとりで全部させていただいたことです。曲のことを全部わかっていないとできないので、本当に勉強になりました」
もうひとつ、大きな経験になるのが文藏のツレを勤める機会が多いことだ。
「ツレはシテと一緒に謡うことが多いですし、先生の一番近くの特等席で学ばせていただける。幸せなことだと思っています」
その大切なツレとしての大きな一番が控えている。十一月十九日、東京・銀座の観世能楽堂で行われる公演「銀座余情」で、文藏の「山姥 長杖之伝」に遊女、百万山姥を勤める。
「ツレのなかでも難しい役どころで、唐織の衣装で長時間座り続けていないといけないですし、シテの山姥の怖さや執念を際立たせるためにはツレの遊女が若く美しく存在していないといけないんです。正直避けて通りたいほど大変な役どころですが、すごい先生方に囲まれて、足の痛みさえ感じないんじゃないかと思っています」
自身の使命のひとつを、若い人を能に振り向かせることという。七月、観世能楽堂で上演された「能 狂言『鬼滅の刃』」(野村萬斎演出)で、主人公の竈門炭治郎とその妹、禰豆子を勤めた。能の公演は通常一日だが、今公演は異例の六日間行われ、客席には普段、能楽堂に来ないような若い人の姿が多く見られた(十二月には大阪・大槻能楽堂でも上演)。
「見てくださった方が能に興味をもって、次は古典の能を見てみたいと思ってくださるようになればうれしい」と熱を込める。
「いつか文藏先生のように舞台にいるだけで存在感と品のある能楽師になりたい。先生を拝見していると、照明はいらないと思えるぐらい後光がさしているように見えるんです」
目を輝かせながらそう言ったあと、ふっと、「でもどうしたらなれるんでしょうね」とつぶやいた。
そんな繊細さと素直さ、そして、大いなる冒険心を武器にいま、能楽界という大海に乗り出したばかり。能への熱い思いこそが能の未来を切り拓いていく。
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/墫 怜治
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