昨年、父、茂山七五三が人間国宝に認定された。父から報告を受けたとき、「人を幸せにするとはこういうことなんやなあ」と、深い感慨を覚えたという。
「父はとても生真面目な人で、若いときは狂言と銀行員の二足のわらじをはいて両方を全力でやり、銀行員をやめてからは狂言を極めていった。そうして狂言を見に来てくださるお客さまや僕たち家族、周囲のみなを幸せにしてくれる。そういう人なんやなあと思ったのです」
もうひとつの感慨は、「茂山の家ってええなあ」と改めて思ったこと。「親戚がみな心の底から喜んでくれたんですよ。その姿を見て、茂山っていいなあと、今までよりもっと思いましたねえ」
来年、五十歳を迎える。だが、三十年ほど前、弟の逸平や従弟の茂らと「花形狂言少年隊」を結成して狂言ブームを巻き起こした頃と雰囲気はほとんど変わらない。スリムな体形に快活な若々しさ。舞台でもアグレッシブに観客をわかせている。
コロナ禍を経て舞台の数は少し減った。とはいうものの、いまも年間五百番くらい勤めている。
「年に二、三回くらい自分でもガッツポーズが出るくらい、うまくいったなあと思える舞台があるんです。自分で楽しんで演じた舞台はたいてい、お客さまも喜んでくださっているように感じられますね」
宗彦世代は、幼いとき、曽祖父で人間国宝だった三世茂山千作が存命だった。宗彦も、三世千作、祖父で人間国宝だった四世千作、そして父の七五三と、三代にわたって薫陶を受けた。全員、芸風も違えば、個性の塊のような名人ばかり。インタビュー取材をおこなった茂山本家の稽古場には、代々の肖像画や写真が飾られ、彼らの稽古を見守っている。宗彦は、肖像写真の方を見上げ、満面の笑顔で、「よっ」と挨拶の声を掛けた。
宗彦が小学生の頃、三世千作が、七五三の家に一時、住んだことがあった。
「ひいおじいさんは僕が学校から帰ってくるのを待ち構えていて、僕がランドセルをおいてザリガニを取りに行こうとしていると強制的に稽古をさせられました。叱りはしなかったけれど、僕が不器用なんで何度も何度も繰り返しさせられました」
では、四世千作の稽古は?
「うちの人間国宝の人たちは、子供であろうと容赦はしない。僕らの次元まで降りてきてくれないんです。自分のレベルで教えて、とどのつまり、『おまえ、下手やなあ』って言われる。祖父は横で稽古を見ていた父に、『眞吾(七五三の本名)、ちゃんと教えとけ』って怒るもんですから父も僕を叱るんですよ」
四世とは性格が似ているといわれるそうだ。「瞬間湯沸し器みたいなところかな」と自己分析。カラッと明るい舞台も似ているように思える。「芸の上では目指しているというのもおこがましいくらいですが、一番のお手本ですので一つぐらい継げてよかったかなと思っています」
一方、父の稽古は厳しかった。「多分、周囲から『銀行員の息子やからでけへんのや』と思われるのが嫌やったんでしょう。そこに父のプライドがあったと思います。いまになって、よくぞ厳しい稽古をしてくれたと感謝しています」
昨年十一月、舞台生活四十五周年の公演で「花子(はなご)」を久しぶりに勤めた。今年九月には「木六駄(きろくだ)」を開曲。
五十歳という節目の年を前に、大曲に挑み続ける。このインタビュー取材は九月の初めに行われたので、ちょうど「木六駄」の稽古の真っ只中だった。
「薪六駄 炭六駄」を都の伯父に届けるよう主に命じられた太郎冠者(宗彦)は、十二頭の牛を引き連れて都に向かう。吹雪の山道をようやく峠の茶屋にたどり着き、酒を飲んで温まろうとするが─ という展開。
実際にいない十二頭の牛をあたかもそこにいるように観客に想像させる演技や、酒に酔って千鳥足で舞う「鶉舞(うずらまい)」など随所に高い技術が要求される。難曲といわれる所以である。
「僕が連れている牛は僕の言うことをなかなか聞いてくれないんですよ。あっちゃこっちゃ勝手に行っちゃう。演じる狂言師によって牛の見え方や追い方が違っていて、いまの千五郎の追う牛は行儀がよかったですね。統率力がある。そういえば、おじいちゃん(四世千作)の牛も言うこと聞いてなかったな」
今回のような大曲に挑むときには特に茂山家の力を感じるという。
「先に演じている経験者が多いので、いろんな意見が聞ける。それが茂山家の強さです」
この号が出る頃には「木六駄」の公演は終わっている。宗彦がどんなふうに牛を追ったのか、舞台成果が楽しみである。
また、来年1月5日には大阪の大槻能楽堂で、恒例の「新春天空狂言2025」に出演する。勤めるのは人気曲「二人袴(ふたりばかま)」の兄。弟の聟入りについていった兄。ところが、一着しかない袴を兄弟で同時に履かねばならない羽目になり─。
「手は抜かずに力を抜く、という一番難しいパターンの曲です。やりようがいっぱいあるけれど、やり過ぎると二人の呼吸が乱れますし、かといってお互い遠慮していると味気ないものになってしまう。その辺はあうんの呼吸でキャッチボールしないといけません」
好きな役、好きな曲は特にないというが、いま気になっているのは山伏の役だ。あるとき、小学校で狂言を上演後、男の子の生徒に呼び止められた。「あのさあ、自分、(山伏に)向いてると思うわ。続けたらええんちゃう」と。周囲は大爆笑。「でも、そういう素直な感想が一番うれしい」と顔をほころばせた。
終演後、観客の拍手を聞き、幸せそうな笑顔を見ると、「こちらこそ、みなさんのおかげです、とお礼を言いたいんです。ほんまはカーテンコールをしたいくらい」という。
すべてはお客さまのため。「そのためにも、おもろいおっさんでい続けたいですね」
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/後藤 鐵郎
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