KENSYO>文 楽インタビュー バックナンバー
吉田 一輔

KENSYO vol.138
吉田 一輔
Ichisuke Yoshida




吉田 一輔(よしだ いちすけ)
1969年大阪に生まれる。祖父は桐竹亀松、父は桐竹一暢。
'83年父に入門、桐竹一輔と名のる。'85年国立文楽劇場で初舞台。
2004年、三代吉田簑助門下となり、吉田姓を名のる。
'09年国立劇場文楽賞文楽奨励賞、'10年咲くやこの花賞、大阪文化祭賞奨励賞、'12年十三夜会賞、'13年大阪文化祭グランプリ、'20年大阪文化 祭賞、'24年関西元気文化圏賞 ニューパワー賞、'25年国立劇場文楽賞優秀賞など受賞。




文楽のおもしろさをもっと広く、深く、伝えていきたい

 この夏、東京・渋谷のPARCO劇場が熱く沸いた。 あの三谷幸喜さんが書き下ろした新作文楽の第2弾が上演され、前売りは完売し、 演劇ファン、文楽ファンを中心に幅広い観客層が連日劇場に押し寄せ、熱気に包まれたのだ。
 タイトルは、三谷文楽「人形ぎらい」。主人公の人形を遣ったのが吉田一輔さんだった。
 「文楽の人形遣いに、『人形ぎらい』というタイトルのお芝居って伺ったときは驚きましたけど、逆におもしろいなあと思いましたね」といい、 「しかも人形がスケボーに乗ったんですよ。僕たち人形遣いは誰ひとり乗れないんですが」と笑う。
 物語の主人公は、文楽人形の陀羅助(だらすけ)。文楽の舞台では脇役に使われる人形で、嫌味な小悪党役などが多い。 そんな陀羅助が主人公になれないことに不満が爆発 …という展開。
 三谷さんが文楽に新作を書き下ろすのは二度目で、「其礼成心中(それなりしんじゅう)」以来、十三年ぶり。 一輔さんは「普段、脇役で憎まれ役の人形にスポットを当てたところに、三谷さんのやさしさと人形愛を感じます。 文楽に対して、これまでとは違う注目をしていただけたこともうれしかった」と喜ぶ。今回は舞台全体の監修も務めた。
 「第一作を作られたとき、『人間にできて人形にできないことはないです』と三谷さんにお伝えしました。 ただ、文楽はやはり伝統芸能ですので、やっていいことといけないことがある。その判断や配役も考えさせていただきました。 新しくて、いいものを作りたいが、文楽をけがすことはしたくない。そういう思いで務めさせていただきました」
 コロナ禍が一息ついたとはいえ、その影響はいまだ尾を引き、一度劇場から遠ざかった観客を、もう一度取り戻すことの大変さを感じている。 しかも、文楽は、東京公演の本拠地であった国立劇場小劇場が建て替えのために一時閉館。 新しい劇場の目途がなかなか立たず、現在は都内のさまざまな劇場で公演を行うという厳しい状況におかれている。
 「だからこそ、こういう新作を通して、これまで文楽に興味のなかった方にも演劇としての文楽のおもしろさを知ってもらいたいですね」
 文楽人形遣いの家の三代目として生まれた。祖父の桐竹亀松、父の桐竹一暢はともに女方の人形遣いとして主役や大役を演じ続けた。 野球少年だった一輔も中学時代には人形遣いになることを決意。 父は「生やさしい世界やない」と猛反対したが、母親の口ききで、渋々文楽の世界に入ることを認めたという。
 文楽は古典芸能の世界では珍しい実力社会。二世、三世、四世もいるが、家柄や血筋は関係なく、特別扱いも一切ない。
 「いま、話題の映画『国宝』は、血か芸か、という歌舞伎の世界を描いていましたが、同じ伝統芸能でも歌舞伎と文楽は違うんです。 文楽は血よりもセンスや努力が重要。必死で頑張る人が勝つ世界です。また、そうでなければいけない。 どれだけ好きなのか、どれだけ怠けずにやるか、ですね」
 映画『国宝』に劇中劇として象徴的に出てくる芝居が近松門左衛門の「曾根崎心中」だ。 そもそもは江戸時代、近松が人形浄瑠璃に書き下ろした世話物だったが、長く上演されず、昭和二十八年、歌舞伎で復活。三十年に文楽でも復活した。 以降、文楽屈指の人気作として上演を重ね、現在、大阪・国立文楽劇場で開催中の「爽秋文楽特別公演」でも上演されている。 二十五歳の醤油屋の手代、徳兵衛と十九歳の遊女お初の心中の物語は純粋で美しく、近松の名文とともに、上演のたびに観客の熱い共感を得ている。
 一輔の役どころはお初。父が亡くなったあと、自ら願って門下に入った師の吉田簑助が長く得意とした役どころを継承。 初々しくも愛に一途なお初像を作り上げ、名作に新たな命を吹き込んだ。
 「お初はただの受け身の女性じゃないと思います。大切なのは徳兵衛への愛で、徳兵衛を守りたいと思っている。 心中によってあの世で添えるという考えかたは、いまの時代には想像できないけれど、それを信じているお初の気持ちを大切に、現代に生きる人たちにも信じてもらえるよう勤められたらと思っています」
 相手役の徳兵衛を勤める吉田玉助とは近年コンビを組むことが多い。
 「僕の方が後輩ですが、僕たちの世代がこれからの文楽をなんとかしていかなあかんとお互いに思っている。同じ方向を向いているのがわかるんです。 それに、同じくらいの経験値ですので、自分のやりたいことをやりながらも一緒に舞台を作っていけるのがありがたいですね」
 普段はお初のように女方の人形を遣うことがほとんど。ともに女方であった最初の師である父、一暢、もうひとりの師、簑助の足遣いや左遣いを勤めながら、 そこに自分の思いや培ってきた芸を積み重ね、いまや、ハッとするほど艶やかで品のある人形を遣うようになった。
 「父からは人形を遣う上での基礎を教わりました。 簑助師匠からは舞台に対する姿勢や演技の間の取り方、しぐさの色っぽさを、一番身近で拝見しながら教わったように思います。 そういう芸を見せていただけたことがどれほど自分の財産になったかしれません」
 来年一月の国立文楽劇場の「初春文楽公演」では、うってかわって立役の人形を遣う。「思ってもいなかったので驚きました」。 役どころは「新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)」の奴妻平、「壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)」の座頭沢市。 両方とも初役で、妻平には立ち廻りがあり、沢市は盲目の表現も至難である。
 「これ、と決めつけず、いろんなことをやっていってくれよ、と言われているような気がして、さらに勉強をしなければと思っています」
 十二年前、長男が人形遣いの道に入り、吉田簑悠の名で一輔のもとで修業している。
 「彼は僕の若い頃よりずっと真面目」と笑いつつ、「ただ、簑悠だけでなく、後輩がたくさんできてくると、 文楽を次の世代に繋ぐ責任を一層強く感じるようになりました。 彼らのためにもいろんなことに挑戦して、文楽のおもしろさをもっと広く、深く、伝えていきたい」
 もはや人形は自身の体の一部に思えるほどという。文楽の未来を信じ、文楽の可能性を拓いていく。


インタビュー・文/亀岡 典子   撮影/墫 怜治



ページTOPへ
HOME


Copyright(C)  SECTOR88 All Right Reserved. 内容を無断転用することは、著作権法上禁じられています。
セクターエイティエイト サイトマップ