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上野 朝彦

KENSYO vol.138
上野 朝彦 
TOMOHIKO UENO

 



上野 朝彦(うえの ともひこ)

シテ方観世流。1989年8月16日生まれ。大阪府出身。
上野朝義の長男、父および野村四郎(人間国宝)に師事。
2歳半で仕舞「老松」にて初舞台、9歳で初シテ「岩船」、16歳で初面「経正」。
その後、「猩々乱」「石橋」等を披演。父と叔父雄三が主催する年1回の『正陽会』で従兄弟の雄介と共に研鑽を積んでいる。



「道成寺」にかける

女の執心が蛇体となって鐘の中に隠れた男を焼き尽くす───。
 紀州道成寺の縁起を題材にした能「道成寺(どうじょうじ)」は、久しく絶えていた釣鐘を再興し、その供養が行われる日、女人禁制の触れを出すが、 妖しげな白拍子が舞を見せるといい入り込む。蛇体となって死んでもなお、白拍子となり現れた女の恐ろしいほどの情念が表現される。
 能楽師にとっては卒業試験とも言われ、宗家の許しを得て「披キ(ひらき)」という初めて演じることのできる演目。
 「自身の中で30代半ばに差し掛かり、お願いさせていただきました」と、昨年、父・朝義と観世流宗家・観世清和の元を訪ねた。
 「ご宗家から『一挙手一投足すべての動きが踏襲できているか確認する曲である』と、お言葉を賜りました。本当にそういうことなんだなと思います。 『道成寺』にはものすごい意志が謡に込められているような気がします。それにふれさせていただく機会を頂けたという風にとらえています」
鐘後見が80sとも90sとも言われる鐘を吊るすところから能楽堂の空気が変わり、緊張感に包まれる。
 寺へ着く前に、鐘の供養に参らんと、白拍子が言う。「諸先生方の受け売りですが、これって嘘じゃないですか。 じゃあ誰に向かって言っているのかって考えると、多分、お客様に対して嘘をついているんです。 『道成寺』のシテはちょっとメタ的(※)で、俯瞰で自分を捉えていて、役者とお客様の間にいるような、 気づくと隣に蛇がいるような感覚。嘘をつく理由がほかに思い浮かばないです」
 曲趣は「蛇を表現することに重きを置いているように思います」。
 小鼓との間合いが緊迫感を生む「乱拍子(らんびょうし)」は、 「恋しい男がいる鐘に至るまでを噛みしめながら道成寺への階段を艶めかしく蛇が登っているようなイメージです。 諸説ありますが、唯一、男と一緒の空間(鐘)に身を投じる。それに恋焦がれていくというグロテスクかもしれないがネガティブではないと思います。 演じる側から言うと、緊張感あっての曲ですから舞台と客席が一つになって到達点に至ることができれば。 おこがましいですが、道成寺の階段を登る景色が見えたらいいなと思います」
 鐘を引き落としてその中へ飛び入る「鐘入り」はスリリングだが、一つ間違えば大怪我を招く。 「能を初めて観る知り合いから普通に危ないよと言われます」と笑う。
 師匠・野村四郎との縁は62歳で亡くなった祖父の上野朝太郎が「上野家の後をお願いします」という言葉を野村四郎に残したことから受け入れてもらい、 父、そして朝彦も師事した。
 「師匠にこの曲はこうだと決めつけてはいけないと教わりました。方向性は言えても決めつけてしまうと狭い芸能になる。 演じる時に顔を面で覆っているのは、こちらのパーソナリティーはいらないと言うことかなと思います。 ただ滲み出てくるものはあって、それは面白いのかな」と、心の内を表現する能は演じる者に託されることが多い。
 能楽師を継げと言われたわけではないが、初めて面をつけて「経正(つねまさ)」を演じるにあたって、「何を言っているのかわからないのは嫌やな」と、 現代語訳した。
 琵琶の名手で戦いよりも優雅な芸術生活に憧れていた平経正の心情が描かれる。
 「『心に洩るる花もなし』という詞章があるんですけど、そんな言葉を侍に言わせてるんだということに度肝を抜かれて、 これは40歳を超えてからでないと、この無常感は表現できんなと思ったのがきっかけですね。 文学的なアプローチが魅力的だった」と、能の奥深さに惹かれた。
 大阪天満宮界隈に生まれ育ち、「ごんたくれ」だった子供時代。中学生の時にがんを患い1年間入院生活を送った。 子方を卒業する「烏帽子折(えぼしおり)」を上演した翌月だった。
 「いろんな人と出会い、末期がんのおじさんと一晩だけですが話をして、ものすごい前向きな方やったんです。 僕からすると自分は何て恵まれてるんやろと思った」と、そこから変わった。
 「人に生かされたと思ってます。人との出会いで成り立ってます」。 中学、高校、大学と進学したが、4年生のとき能の道に邁進しようと「自分の興味がある分野だけ勉強させてくださいと父に頼み込み中退しました」。
 謡や三味線の音が聴こえる街が夢の一つ。新型コロナウイルス感染症が発生する前は地元の商店街やイタリアンレストランで能を舞っていた。 「復活したいですね」と言う。
 「文化が根付き賢ぶらない伸びやかに暮らせる街。体現するのがこの街でありたい。 朝太郎じいさんの言葉ですが、『能がすごいんであって能楽師は偉くない』偉ぶってはいけない。 背筋を伸ばすところはきちんとしてフットワーク良くいろんな所でやっていきたい」とも話す。
 関西を拠点に活動する40歳以下の能楽師が企画・運営する「大阪若手能」の委員長を務めている。 「家や役柄の垣根を越えて、お互いの苦労を理解して共に舞台を作っていく」と横の繋がりを大事にしている。
 「披キの後、俺はどうやって生きていこうと思うほど、今は何も考えられない。真っ白なんです。 たくさんの方に支えられて、ひとかけらでも応えることができればと思います。能楽師として成立したい」と、緊張の中にいる。


(※)登場人物が観客の存在を認知している



インタビュー・文/前田 みつ恵  撮影/後藤 鐵郎



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