数年前になるだろうか。ロームシアター京都で、人形遣いの人間国宝、桐竹勘十郎さんが書き下ろした新作文楽「端模様夢路門松(つめもようゆめじのかどまつ)」を見た。普段の公演ではその他大勢役を演じている一人遣いのつめ人形が主人公というユーモアとペーソスあふれる作品。おおいに楽しませてもらったが、その際、舞台上手の床(ゆか)の太夫の姿に驚いた。
当時入門四年目の超若手、竹本碩太夫さんが大抜擢されて、ひとりで語りを勤めていたからである。三味線はベテラン、鶴澤清介さん。聞けば、清介さんの強い推薦だったという。本公演ではまだまだ役らしい役はついていないほどのキャリアだったが、碩太夫さんは三人遣いの人形になりたいと願う、つめ人形の門松をはじめ、登場人物全員をいきいきと語り分け、客席をわかせていた。
その後も、碩太夫さんは勉強会や自主公演を積極的に行い、この秋の巡業では、「義経千本桜 道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」の狐忠信に抜擢され、大先輩の豊竹呂勢太夫さんの静御前を相手に、人間国宝、鶴澤清治さんの三味線でしっかり語り切ったのだ。
「清治師匠のお稽古は、飲み込む唾もなくなるくらい、すごい緊張感でした。 その緊張感を体感出来ただけでも幸せでした」。
それほど、碩太夫さんが将来を嘱望されているということであろう。
そもそも義太夫節に魅せられたのは中学生の頃というから早熟だ。
札幌市出身。子供の頃から「さっぽろ人形浄瑠璃あしり座」の活動に参加。人形浄瑠璃に触れ、人間のように動く人形に魅せられた。
「他のパペットと全然違う。人形が生きているように見えたんです。 棒足とか、後ろぶりとか、人形にはいろんな型があるのも新鮮で、おもしろく感じました」
当然、義太夫節も耳にする。「それが心地よくなってきたんです」。
中学生のとき、初めて買ったCDが九代竹本綱太夫さんと鶴澤清治さんの「曽根崎心中(そねざきしんじゅう) 天満屋の段」。 「いつも床の前に陣取って義太夫節を聴いている子がいるというのが噂になって、そんなに好きなら義太夫部を開設しようということになり、語りや三味線も教えていただくようになりました」。
高校時代には文楽の太夫になることを決意していた。だが、両親は猛反対。「本州には親戚縁者も誰一人いませんし、なにしろ、わからない世界でしたから」。
半ば、けんか別れのような形で家を出て大阪の国立文楽劇場の文楽研修生になった。「えっ、両親ですか?いまは応援してくれています。文楽の公演を聴きに来るのにかこつけて、観光も楽しんでいるみたいなんです」。ちょっとうれしそうな笑顔を見せた。
もちろん、自身も不安はあった。
「でも研修生になってみると、意外に想像とのギャップはなかったですね。 厳しい師匠方に相手していただけないんじゃないかって思っていたのですが、手取り足取り丁寧に教えてくださいました。ただ、僕の場合、札幌時代に一応、太夫、三味線、人形を経験していたことが返ってクセがついていてマイナスになるんじゃないかと。ここに来たからには全面的に文楽の世界に染まり、新たな気持ちで一から学ばせていただきたいと、そういう覚悟はしていました」。
平成二十九年、竹本千歳太夫さんに入門。研修生時代の発表会で、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 寺入りの段」の稽古をつけてもらった
ことがきっかけだった。
千歳太夫さんの教えは、シンプルに、大きな声を出して、元気いっぱい語りなさい、というものだった。「いま思うと恥ずかしいのですが、内心、もっと上手ぶって語った方が格好良いんじゃないかと思ったんです。でも、僕はここに染まろうと思っていたので、師匠に教えていただいた通りに語ろうと努めました」。
終演後、人間国宝の七代竹本住太夫さんから、「この子は素直でいい」というおほめの言葉をいただいた。
「(千歳太夫)師匠は僕にとってもっとも正しい導きをしてくださったんだと改めてわかりました。だからこそ師匠のもとで修業させていただきたいと思いました」。
表情を引き締め、言葉を続けた。
「師匠は語り終わって盆が回って帰ってこられたとき、 顔を真っ赤にして額には大粒の汗がとどまり、そうした姿を見て、すごさ、過酷さ、一生懸命さのようなものを感じます。全力で語るということの意味を師匠から学ばせていただいています」。
これまで勤めた曲のうち印象に残った曲は?と聞くと、「基本的にはなんでもやりたいですし、取り組んでみると、全部好きになるんです」との答え。「でも、あえていうなら『玉藻前曦袂(たまものまえ あさひのたもと) 道春館(みちはるやかた)の段』ですね。この夏、自主公演で勤めたのですが、越路太夫師匠もお勤めになっていますし、僕の師匠も越路師匠にお稽古していただいて勤められています。この曲は淡路の人形浄瑠璃では人気のレパートリーだそうですが、文楽ではなぜか、上演の機会が少ないんです。ぜひ、文楽の『道春館』はこうなんだという、師匠方がおやりになった浄瑠璃に少しでも近づけるよう、そんな思いで勤めさせていただきました。 いつか、本公演でこういう大きな曲をやらせていただく機会がきたとき、何も知らなかったでは対応できません。将来のために、いまできることをやり続けていくだけです」。
ここにも、義太夫節に憑りつかれた太夫がいる。
一月三日から大阪・国立文楽劇場で開幕する「初春文楽公演」では、「新薄雪物語(しんうすゆきものがたり) 清水寺の段」の国俊・左衛門と、「連獅子(れんじし)」の子獅子を勤める。また、二月のKAAT神奈川芸術劇場(小ホール)「2月文楽公演」では「絵本太功記(えほんたいこうき) 本能寺の段」の口などを、四月の国立文楽劇場では「菅原伝授手習鑑 北嵯峨の段」を勤めることが決まっている。
「義太夫節には教科書があります。その教科書にのっとった語りができる太夫になりたいですね。人間ってどうしても、芸の中に自分の個性を出したくなる。でも、それでは道からそれると思うのです。自戒を込め、基本に忠実な楷書の芸を目指したい。どこまでいっても天井のない義太夫節を追求し続けていきたいです」。
文楽の未来を担うホープは言葉に力を込めた。
インタビュー・文/亀岡 典子
撮影/墫 怜治
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