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杉 市和

KENSYO vol.141
杉 市和 
ICHIKAZU SUGI

 



杉 市和(すぎ いちかず)

1952年(昭和27年)生まれ。祖父・初代杉市太郎及び森田光春に師事。
1964年(昭和39年)舞囃子「初雪」にて初舞台。以後、「姨捨」「檜垣」「関寺小町」等を披く。第68回(平成29年度)芸術選奨文部科学大臣賞、第40回(平成30年度)観世寿夫記念法政大学能楽賞、平成2年度京都市芸術新人賞、平成25年度京都府文化賞功労賞、令和2年度京都市文化功労者、令和元年度紫綬褒章受章。 



二代目杉市太郎を襲名

一代で杉の名前を大きくした人の名を残したかった

  今秋、祖父の名跡を継ぎ、二代目杉市太郎を襲名する。
 「襲名は去年くらいから考えるようになりました」 とかみしめるように語る。
 「そもそも僕自身は生涯、自分の名前でやっていこうと思っていたのです。でも去年くらいから、僕もまだ元気ですし、祖父の名前がこのまま忘れられてしまうのは寂しいと思うようになりました。祖父は一代で杉の名前を大きくした人。僕はその恩に随分あずかっています。そういう思いも込め、祖父の五十回忌追善能を開催し、その機に襲名させていただければと決意しました」。
 京都を本拠に、明治から昭和にかけて活躍した初代杉市太郎さん(一八八九〜一九七七年)は八十六歳まで現役で舞台に上がり、その二年後に亡くなった。その間、孫の市和さんを立派な笛方に育て上げた。「僕が子供の頃は、笛が嫌にならないようにという配慮だったのでしょう。あまり厳しく言いませんでしたね」。
 市和さんは、祖父の若い頃の演奏は生で聞いていないが、「素直な指使いで、澄んだ音色でした。ただただ、きれいな音というのではなく、その中に鋼のような強さがあるのを感じました」と述懐する。
 「襲名したからといって、僕の笛が急に変わるわけではありません。でも杉の名前を汚したら申し訳ないという気持ちはあります。いつか、祖父のような音色に行き着けたらいいなと思う半面、同じ笛になってしまうと真似にすぎなくなるので、やはり僕なりの笛を追求したい。その中に祖父の笛の名残があるというのがいいですね」。
 市和さんも京都で生まれ育ち、幼い頃から祖父の薫陶を受け、長じて森田光春さん(一九一六〜一九九二年)の教えを受けた。
 市和さんの笛の音色は深く鋭く、舞台の空気を一変させる力がある。全国の大きな能の公演に呼ばれ、能の最奥の曲といわれる『檜垣(ひがき)』『姨捨(おばすて)』『関寺小町(せきでらこまち)』の「三老女」も完演した。
 「たまたま、三老女をさせていただきましたけれど、やはり杉の名前があったから出来たことだと思っています。祖父への感謝の気持ちは大きいですね」。
 市和さんの祖父は笛方だったが、父親はあくまで中継ぎ役に徹し、教職にあり校長も務めた。市和さんも京都産業大学理学部卒という理数系の頭脳の持ち主。大学時代は、「夏目漱石の『坊っちゃん』じゃないですが、地方で先生になってのんびり暮らすのもいいかなと思ったこともありました」。
 それでも、笛方の道に進んだのは、
「その頃、祖父が倒れて継がなければならなくなったからです」 と言いつつ、
「笛のお仕事も人に教えることがありますので、まあ、先生と同じようなこともしていますね」 と笑った。
 これまで出演した公演で忘れられないのは、片山幽雪さん(一九三〇〜二〇一五年)が「三輪(みわ)」を、片山家ゆかりの「白式神神楽(はくしきかみかぐら)」の小書きで勤めた舞台だ。
 「僕はまだ四十歳くらいでした。その前に、幽雪さんが『白式』を勤められたときは師匠の森田光春さんが笛を勤められました。それで、幽雪さんが『今度はあんた』と言ってくださったのです。本当にいいお舞台でした。ただ、申し合わせの時、(一噌流笛方の)藤田大五郎先生(一九一五〜二〇〇八年)がずっと前に座って聴かれていたのはプレッシャーでしたが」。
 十月二十四日、京都観世会館(京都市左京区)で行われる「杉市太郎五十回忌追善 杉市和改め二代目杉市太郎襲名披露能」では、「三老女」の一曲「檜垣」を、「蘭拍子(らんびょうし)」の小書きで勤める。シテは幽雪さんの子息、片山九郎右衛門さんだ。
 「檜垣」は、かつて美しさを誇る白拍子だった老女が主人公。生前、美貌で男をたぶらかした罪で、永遠に因果の水を汲み続けねばならない地獄を描きながら、人間の本質的な業が浮き彫りにされる。
 本曲を襲名披露に選んだのは、令和四年に同曲を横浜能楽堂で勤めた際、「自分の中で心残りがあったから」という。
 「もう一回やりたいと思いました。 そやさかい言うて、今度うまいこと、いけるかどうかわかりません。 満を持して、と自分の中では思っていますし、今度は成功させたい」。
 小書きの「蘭拍子」は、「序の舞」の前に行われる特殊演出。「蘭拍子」だけで、「序の舞」をしないパターンもあるという。だが今回は「蘭拍子」も「序の舞」も両方演じられる。そこにも市和さんのこの曲に臨む並々ならぬ覚悟が見てとれる。
 「両方あると大変なんですが、無事にうまいことやれたら、僕はもう何も言うことはないです」。
 七十歳を迎える少し前に椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症になり、膝の手術も受けたが、病を乗り越え、能舞台で深遠な笛の音色を響かせている。長男の杉信太朗さんも笛方として立派に育ち、今回の襲名披露能では、金剛流宗家、金剛永謹さんがシテの能「石橋・?猊之式(しゃっきょう・さんげいのしき)」の笛を勤める。 また、平成六年からは国立能楽研修生の指導を行うなど後進の育成にも熱心。 そのうちのひとり、鈴木麻里さんは今年研修を修了し、一門に入った。今回の公演にも舞囃子「清経(きよつね)」に出演するという。
 「彼女は東京住まいだったのですが、
今年から京都に移ってきて、京都の囃子方の団体『同明会』にも入会させてもらっています。一般に、女性が能楽師になるのは難しい面もあるとの声も聞きますが、技術的にも成長しているので、僕は『とってよかった』と思っています」。
 能楽界にいま必要なのは、鑑賞者の拡充という。「若い人も含め、もっといろんな方に能を見ていただきたいですね。僕は古いさかいに、能の音楽の範疇で活動していますが、そこから飛び出して活動している能楽師もいます。能のことを広く知っていただくためには必要なことだと思います」
 襲名後の七十代の笛をどう勤めていくのか。
 「いままで通りです。変わることなく、一曲一曲を丁寧に、活動していければいいと思っています」。
 佇まいは思索者のごとく。その音色にすべてが現れている。


インタビュー・文/亀岡 典子  撮影/後藤 鐵郎



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