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KENSYO vol.48
金剛流シテ方26世宗家

金剛 永謹
HISANORI KONGO
古き佳きものが息づく
新金剛能楽堂
金剛 永謹(こんごう ひさのり)
金剛流シテ方二十六世宗家。1951年京都生まれ。二十五世宗家金剛巌の長男。父に師事。'56年仕舞「猩々」で初舞台、'58年「猩々」で初シテ。'98年金剛流宗家を継承。財団法人金剛能楽堂財団理事長、社団法人日本能楽会常務理事、金剛会名誉会長。 '84年「京都市芸術新人賞」'86年「京都府文化賞新人賞」を受賞。著書に『金剛家の面』がある。

 きらきら輝く京都御所の緑が雨の潤いで色増す六月。御所の向かい側、人々が心待ちにしていた金剛能楽堂の新築が成る。宗家、金剛永謹さんにお話をうかがった。舞台で拝見するのと同じ気品のたたずまいに、六月十八日に舞台披きの運びとなった喜びの心もようも表情にうかがえ、これからのさまざまな可能性に夢馳せる若々しい希望がふくらみ、お聞きしながら胸はずむひとときであった。
 百余年の室町通り四条上ルの金剛能楽堂が閉じられたのは平成十二年十二月。舞台と見所が一緒になって名残を惜しみつつ一日も早く新しい能楽堂をと願った。永謹さんはこの能楽堂を愛するがゆえに日頃から建物の老朽や災害時の安全対策に心を痛めていた。この十年間余りは、様々な方々のお力を頂きながら、妻と共に能楽堂の建設に向けて奔走する長い道のりであった。その間には、様々な候補地が上がっては消える挫折もあったが、幸いなことに京都の町中らしい雰囲気のある烏丸通り、同志社大学、京都大学が近く、若者が行き交う町、御所の中立売御門の前に旧に倍する約七百坪の土地が得られた。
 新能楽堂の設計は国立能楽堂、名古屋能楽堂、横浜能楽堂、大濠公園能楽堂などの主な能楽堂や、神社仏閣関係の建築を多く手がけた大江宏氏の子息大江昭さん。
 もとの場所、四条室町の界隈は、古くから商いや財力、祇園祭やさまざまな芸能が集まる京町衆のるつぼであった。金剛能楽堂は舞台横に井戸があることでも有名だったが、多くの人がここで井戸を中心に暮らしていた。この度、あらたに三つの井戸跡が見つかりその一つの内側の石壁に『菊水』の文字が掘り込まれていた。ここは祇園祭の菊水鉾の鉾町である。最初、能舞台と見所は別々につくられた。人々は雨の降る日も花の咲く日も舞台を囲み見物したのだろう。やがて舞台と見所が屋根でつながれた。そうして今の形になり百年を超えて続いてきた。
 舞台の笛柱の環の座金には二重十六弁の菊花の華麗な飾りが刻まれてある。鏡板の松は江戸中期に活躍した圓山応挙の手法を継承したらしく赤松の葉が写実的に描かれている。松の緑青の下地全体に金箔が置かれ、外輪のみならず緑の色もほんのり明かりを点す典雅な風情。落款は巌城清灌(いわきせいかん)とある。また、橋懸の簾は青海波のすっきりとした文様で、これはかつて京都御所の中にあった能舞台の文様を写したものである。床板、柱。床下の瓶。これらすべて、百年余の歳月まるごと、能を愛し楽しんできた人々の息吹とともにそっくり移される。
 大江昭さんの設計は、古き佳きものを存分に生かすというもの。もともとこの地にあった著名な庭師小川治平衛の庭園をそのまま残し、紅葉樹などの木立の下に三間四方の石舞台をしつらえる。石舞台の横には滝も流れる。金剛家にあったお稲荷さんもお運びしてお祀りする。
 永謹さんが設計に注文した第一は、誰もが気軽に入りやすい能楽堂を、という事であった。歩道と地続きの感じのガラス貼り。観客がロビーを通り庭を見ながら長い廊下を行くうち気分を変え、だんだん別世界に入っていき舞台に近付いていけるように、照明にもニュアンスが付けられる。ロビーは明るくミニ・ギャラリーを作る。観光客にも見ていただけるよう、春、秋の御所の公開の時期に合わせて装束や面の虫干しをする予定。一、二階とも椅子席で四二〇席。補助席が七〇席。御簾も掛ける。御所に迎賓館ができれば世界のお客様との出会いも夢ではない。日本語、外国語のイヤホーン・ガイドを取り付ける。障子を重ねた窓からは柔らかな自然光。永謹さんは、演目、演者によって自然光を自由に取り入れられるように電動天窓を提案した。蝋燭能用の独特の色照明も設置。テレビ収録用のケーブルの引き込み口も。ハイ・テクノロジーを駆使した豊かな舞台。また、石舞台がどのように使われるかも楽しみだ。
 永謹さんの『翁』により舞台が披き、観世流、金春流、宝生流、喜多流。五流の宗家、錚々たる演者、狂言大蔵流茂山家が打ち揃い、最も古くて最も新しい能舞台を寿ぐ。祝賀能でも歓びの舞台がくりひろげられる。永謹さん、子息龍謹さんは『石橋』を舞う。五歳の初舞台の時「大きくなったらお能の人になる」といっていた龍謹さんは十五歳。
「舞台とともに育ってくれればと願っています」お父様ならではの言葉。新能楽堂は多くの方々のご支援の賜であり、目下募金活動も大詰を迎えている。今、永謹さんの心は深い感謝の念に満ちている。
「たくさんの企画をして、有効な活用で、皆様のご厚意にお応えしていこうと思います」
 古くて新しい歴史の一歩が始まる。


インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一
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