KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー



KENSYO vol.73
観世流シテ方 
味方 玄
SIZUKA MIKATA

今日から明日へ
日常を大切に綴り、心をはぐくむ

味方 玄(みかた しずか)

観世流シテ方。京都生まれ。父・味方健、片山九郎右衛門(人間国宝)に師事。KBS京都テレビ・能楽入門番組「能三昧」監修・演出・出演。2003年新作能「待月(つきまち)」を制作し、脚本・演出・シテを務める。NHK文化センター、同志社女子大学講師など多数。テアトル・ノウ、青嶂会を主宰。近著に「能へのいざない」(淡交社)など。平成13年京都市芸術新人賞、平成16年京都府文化賞奨励賞受賞。
 

 少年は、咲きあふれる桜の下にいた。幹を触ってみた。べこべこと頼りない手ごたえだった。中は空洞なのだ。もう何十年も、内側で身を削り外側の枝にふくよかな花を咲かせてきたのだろう。花の色は少しずつ薄まり白くなり、やがて失せていくのか。少年は、ふと、西行桜を思った。生死の境なく美しさに命をかける老桜は能そのものの姿だった。それは、少年から青年へ、今、壮年の能役者として生きる味方玄さんの原風景であった。
 味方玄さんは昭和四十一年生まれ。京都寺町通り、足利六代将軍義教が開基の十念寺。祖父君が三十三代住職であった。観世流シテ方として活躍の味方健さんの長男として玄さんは三歳から子方で舞台を勤めていた。広大な庭は「ひとり占め十念寺パークでした」。さまざまな樹木、小鳥。犬と転げまわり、かぶと虫や脱皮した蛇の皮を見付け、虎杖(いたどり)を手折り甘い汁を味わった。それにもましてお祖母様のおやつは甘く、その傍でころん、とうたた寝したり。日常がさながら能舞台のようであった。そして、つぶらな瞳は桜の古木に息づく能の世界を見つめ、長ずるに従い深まっていくのだった。十念寺は稽古場であり、近くに家があった。
 学校から家への帰り道、十念寺の門のところに長靴が置いてある。玄さんは、それに引き寄せられるように入り、父君に稽古を付けてもらう。三歳下の弟君の團(まどか)さんと稽古合図の二足の長靴が並ぶようになった。父君の稽古は厳しく「出来て当たり前」で出来なければ叩かれもした。頭でなく体で覚える稽古。足が痺れるのは辛い。「動くな。動いたら痛くなる」。父君の稽古は世阿弥の方法論を実践する如く自身が舞い、一挙手一投足、具体的に教え、基礎を固め集中力を養う密度の高いものであった。そんな日々、静かに見守り続けたのがお母様で、舞台も熱心に見て批評もされる。
 中学生になり変声期を迎える。上は子方の装束、袴は大人のものとアンバランスな時期で、世阿弥のいう「見た目第一の花、失せたり」とはこれか。しかし、玄さんはさほど挫折感を持たなかった。鼓、太鼓の稽古も面白く、多忙なほど舞台も勤め、また、装束も合わせ、作り物つくり、幕揚げなど楽屋働きも楽しかった。そして「もう、可愛さは必要ない。早く大人になりたい」と密かに思っていた。
 十五歳で能楽養成会に入る。「やらはることが恰好ええ。ゆるぎないたたずまいの人」と玄さんが憧れたその人は、観世流九世片山九郎右衛門さん(人間国宝)であった。子ども心をも引き込む舞台。装束や面について質問すると気さくに説明し教えてもらえる。学校を休んで、九郎右衛門さんが披キの『鸚鵡小町(おうむこまち)』の申し合わせを見に行った。十九歳で九郎右衛門さんの内弟子に。憧れの人の身のまわりのお世話、掃除、舞台や稽古のお伴。玄さんが運転免許をまだ取得してない頃は、師が「ちょっと、車まわしてくる」と自ら運転。その日の舞台のことなど師の話をうかがい、また逆に「どう思う?」と問われることもしばしばだった。畏れながらも元来、率直な玄さんは、考えたとおりのことを話す。師は耳を傾け「そうか」と。世阿弥の「家、家にあらず」の通り、代々の能の家の子であってもなくても、情熱を持ち、真摯に稽古に励み、舞台を勤める人間をへだてなく育てようというとう師の姿勢。玄さんにとって五年九か月の内弟子生活は、能役者としての成長を導く豊潤な歳月であった。
 内弟子修行を終え、独立を記念する披キの二人の獅子が舞う『石橋』。玄さんは、師の舞を乞うた。師は自分は年齢的に無理だから師の長男の清司さんとやってはどうか、といわれた。玄さんは、師がお出いただけないのなら、一人で舞いたいといった。一人で舞う『石橋』は近年稀なことである。師は一週間ほど時を置いて「石橋に関しては誰が何と言おうと責任を持つ、だから一人石橋を許してもらったからといって天狗になるな」と了承された。かくして玄さんは、“一人石橋”を舞った。同門からもどこからも何の声も聞こえてこなかった。立場が悪くなることもなく、玄さんは積極的に、清司さん、そのいとこ君伸吾さんや、團さんら若手と共に能楽界の発展に尽くす。
 楽屋に入り、装束を着け、鏡の間へ。その日の曲のその日の役。役になりきって終演となっても、心は終わらずのこる。役柄という衣(ころも)の中に自分という人間がある。今日から明日へとつながり、空を見て風を感じる日常。そして次の稽古、次の舞台、次の役へと綴(つづ)られていく。あたかも、少年時代に見たうつろな桜の木が命がけで花を咲き綴ったように。
 七月十一日、東京宝生能楽堂。玄さん自ら主宰するテアトル・ノウ、第十九回公演では『邯鄲(かんたん)』を舞う。人生に迷い旅に出る青年。邯鄲の里の宿で不思議な枕に眠る。帝となり栄耀栄華に歓喜する・・・それは粟飯が炊ける一炊の夢。でも心は満ち足り枕に謝し故郷へ戻る。玄さんという人間が、どんな匂いやかに春秋に富む心を伝えてくれるか、楽しみだ。

インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一

ページTOPへ
HOME


Copyright(C) 1991-2007 SECTOR88 All Right Reserved. 内容を無断転用することは、著作権法上禁じられています。
セクターエイティエイト サイトマップ