KENSYO>歌舞伎・文楽インタビュー バックナンバー
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KENSYO vol.39
坂東 三津五郎
Mitsugoro Bando
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坂東 三津五郎(ばんどう みつごろう)
大和屋。1956年1月23日、東京に生まれる。翌年3月、曾祖父七代目三津五郎に抱かれ、 1歳にして『傀儡師』の唐子で舞台初御目見得。1962年9月五代目坂東八十助を名乗り、『鳥羽絵』の鼠、『黎明鞍馬山』の牛若丸にて歌舞伎座で初舞台。以後八代目が初演した舞踊『馬盗人』を復活上演するなど、家の芸にも意欲的に取り組んでいる。2001年1月、十代目坂東三津五郎を襲名。
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十代目坂東三津五郎さんが部屋に入って来られた瞬間、空気の色がさあっと変わるのを感じた。何色か、と問われると困るのだが、何かそこに、透明な空気の色を別の色合いに染め変えるほどの、気合い、意気込みが、三津五郎さんに漂っていたのだ。
今年、二〇〇一年一月、五代目八十助改め十代目坂東三津五郎を襲名。一昨年、平成十一年四月に父君、九代目三津五郎がみまかられ、そのあと、舞踊の坂東流家元に就任している。そして、ここに歌舞伎役者として、家元としての新世紀の幕あけとなった。 「襲名の襲という字はかさね、とも読みますね。これまでつづいてきた九枚の衣の上に、新しい十枚目を重ねて着るということになりますが、新しい色目と申しましても、私だけの衣ではありませんので、自分のを重ねて着ると同時に、初代三津五郎を名のったのだ、という気持ちでおります。この名を大きくしていかなくちゃなりませんので」
屋号、大和屋、坂東三津五郎家は天明二年(一七八二年)からの歌舞伎の名家。三津五郎の名は、江戸時代の三大都市(繁盛な港を持つ都市を津といった)であった江戸、京、大坂の三つの津、『曽我の五郎』の五郎(「最も勢いのある」の意)を持つ大きな名跡である。 規格正しく厳格なイメージを踏襲しつつ今までの三津五郎が手掛けなかった新しい芝居のジャンルにも挑戦し、おおいにフロンティア精神を発揮したい、と十代目のスケールは大きい。
「二一世紀の始まりは、ぼくが四四歳になった時にくるのだなあ」 小学生時代に、すでに来たる二一世紀と自分の年齢を重ねていたという。『鉄腕アトム』が好きだった。宇宙的発想のできる少年だった。しかし、その頃は、まさか二一世紀の節目に、十代目を襲名しようとは予想していなかった。だが、ものごころつくかつかないうちから、この家の後継ぎ、十代目だ、という自覚はしっかり根づいていた。 曾祖父君、七代目三津五郎が、一歳二ヵ月になったばかりの曾孫を唐子の姿にして抱き『傀儡師』を踊った事は今も語り草になっている。手抜きや「ズル」をせず、常に折り目正しい楷書の中に軽みを含んだ踊りの名手、周りにけしてわがままをいわなかった七代目が、曾孫を舞台に出したい、といった。それほど、曾孫さんが可愛かったのだろう、と誰もが思うが、 「可愛いというより、七四年ぶりの男の子でしたから、この子が、いずれは家元を継ぐ、名を継ぐ、という意識の方が勝っていたのでしょう」 と十代目ご本人の答えはきっぱりしている。
芝居小僧だね、といわれた幼少時代。柝を打ったり、廊下を花道にして、台詞をいったり、床柱で柱まきの見得を切ったりして遊んだ。 初舞台は、昭和三七年、歌舞伎座で、小学一年生の時だった。 「アメとムチ・・・でしたよ」 『黎明鞍馬山』の牛若丸ではセリは使う、大人相手に立ち廻りはする、花道を引っ込む・・・、舞台の面白さを目一杯に味合わせてくれた。もうひとつ、ぬいぐるみを着てしっかりとやらねばならなかった『鳥羽絵』の鼠。ふたつの役をやらされて、子どもごごろは、名人を期待されている自分、どんな時も怠けちゃならない、うまくならなくちゃ、との決意に染めあげられていく。この初舞台で、五代目坂東八十助を名のった。 踊りは、父君の高弟の坂東三津弥に稽古を付けられ父君に仕上げを見てもらう。きびしかった。ひっぱたかれた事もある。凛凛しくすっきりとした切れのいい体の動き。基本を身に付けた「嘘のない芸をしろ」との父君のことばが今なお胸に深くのこっている。 二十代になり、より積極的に自ら進んで舞台に励んだ。若衆、娘役で人気を博し、三十代には中村勘九郎さんとのコンビの舞踊で歌舞伎界に清涼な風を巻きおこし、のちは『忠臣蔵』の平右衛門、『三人吉三』のお坊吉三や『鳴神』の鳴神、『勧進帳』の弁慶など次々と大きな役柄を切り拓いていった。
襲名披露公演、一月二月東京歌舞伎座、四月大阪松竹座、十月名古屋御園座、十二月京都南座顔見世。 七代目当り役、また八代目九代目披露狂言の時と同じ『喜撰』。これは古くからのファンの感慨を呼ぶだろう。ほかに『曽我対面』や勘九郎さんと夫婦役で『団子売り』『奴道成寺』『越後獅子』などなど、坂東家縁りの舞踊と、新しく開拓していく役柄で構成され、十代目をたっぷり堪能することができるだろう。 「歌舞伎は商業演劇。木戸銭払って見てくださるお客様が常にこれからの歌舞伎を育ててくださると思っています。大向こうから声かけてくださり、舞台と客席が一体になれるいきいきとした歌舞伎。伝統や名を守るだけでなく、時代とたたかいながら今、求められるものに挑戦していかなくちゃなりません」 十代目三津五郎さんの襲の衣、新しい時代に放つきりりと美しい色彩を見つづけたい。
インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/墫 怜二
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