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坂東 薪車

KENSYO vol.66
三味線 鶴澤 清治(人間国宝)
TURUSAWA SEIJI

切っ先するどい音色で聴く者を魅了する、文楽太棹三味線の重鎮

鶴澤清治(つるさわ せいじ)

1945年10月15日大阪に生まれる。 '53年9月、7歳で四代目鶴澤清六に入門。8歳で初舞台。その後、'64年4月、十世竹澤弥七に入門。30代前半から13年間、人間国宝・四世竹本越路大夫の三味線を務める。 2004年に日本芸術院賞恩賜賞受賞。 2006年 紫綬褒章受賞。 2007年7月、無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
 平成19年7月20日。
文楽三味線の鶴澤清治さんは、国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された。端正且つ鋭い太棹三味線の芸風が評価された、と報じられた。
お祝いの心を込めて、さっそく只今のご心境を伺うべく、大阪、文楽劇場の楽屋へお訪ねした。鶴澤清治さんは恬淡(てんたん)とした表情で、
「有り難く思っています」
これまでに教えをいただいた師匠や諸先輩方への感謝の気持ちが、あらためて深まるという。人間国宝になったからといってとくに、ああしたいこうしたい、という考えはなく、61歳の今日まで、半世紀近い歳月を歩んできた三味線をこれからも、ひたすら、続けていくという。
「ぼくの三味線は、攻撃的ですから」
とご本人の弁のとおり、鶴澤清治さんの三味線は、鋭く、類(たぐ)い稀な表現力を持つことで知られている。
「これからも、守りの芸にならぬよう、やっていきたい」
という。

これまでにも、平成16年に日本芸術院恩賜賞を受けている。
鶴澤清治さんは、昭和20年に大阪に生まれた。養父母に育てられた。
「膝にのせて可愛がってくれた」
養父(ちち)君は、文楽三味線の鶴澤徳太郎さん、後の二世道八さんであった。お母様も優しかった。もの心つくかつかないうちに、太棹の音色の中にいた。正座して座ることもあたりまえのことであった。
7歳の時、四世、鶴澤清六師に師事し、清治と名乗る。翌年に初舞台を踏む。「豆三味線」として、その頃から人の耳をそばだたせる音色を秘めていたようである。小学校を時々早退したりして舞台を続けていた。まだ、これを生涯、やっていこう、と自ら決心していたわけではない。

鶴澤清六師が亡くなった15歳の時、養父君に師事する。高校を卒業し、近畿大学法学部に入学。法学部の進路は多彩ではあるが、何か、心が定まらずにいたところ、
「そんなに迷うな」
と養父君に、京都の十世竹澤弥七師への入門を勧められる。
文楽の三味線といっても、いくつかの流れがあり、竹澤弥七師はそういう意味では、養父君にとってのライバル的存在ともいえた。それでもなお、養父君がわが子に「敵方」への入門を促されたことは、当時、評判にもなった。子息の将来を見通し、その才能がより強く大きく、はばたくことを望まれた、慈愛の決心であったといえよう。
弥七師は「テン」という一音もおろそかにせず、その音の持つ意味や心を手取り、足とりして丁寧に教えてくれた。いつも宿題を与え、三味線への意欲を高めてくれた。舞台、リサイタルなどにも力を貸してくれた。扇子で膝を叩きながらの熱心な稽古で師の膝にできたアザは今も忘れない。

その中で、清治さんは、自らの三味線哲学といったものを培っていった。文楽に於いて三味線は物語を語る太夫にとって「女房役」とされる。しかし、ただ、連綿(れんめん)と太夫に従いまた、太夫に「都合のいい」三味線弾きになるだけでは誠の女房ではない、という。むろん太夫を主として、支えていくのであるが、時に太夫の語りをより良く引き出し緊張を高める工夫や、場面によってのりやテンポを駆使して、互いに刺激し合い、常に高いレベルの語り、三味線の世界を創出していかなくてはならない。女房というより、伴侶という方がふさわしい。
三十代に入り、人間国宝竹本越路大夫に望まれて三味線を弾く。
「光栄だと思いましたが・・・」
大抜擢だとの評判のなかで苦悩が始まった。越路大夫は、養父徳太郎さん、清六師、弥七師に習った教えとはまったく異なっていた。緻密にして無駄のない三味線を求められ、一点でもはずすとはじき飛ばされた。その違和感が苦しく7年目に師に辞退を申し出たが、それでも結句、13年間、弾き続けた。そのなかでも、鶴澤清治さんは、攻撃的三味線の魂は失わなかった。

昭和51年、竹澤弥七師が急死する。自死であった。弟子として師の芸についての苦悶も見てきた。師の生涯は、山川静夫氏(元NHKアナウンサー)の原作に鶴澤清治さんが節付けして浄瑠璃となり公演されている。
平成18年に他界された人形遣いで人間国宝の吉田玉男さんの追悼公演が、この11月に国立文楽劇場で催される。鶴澤清治さんは『近江源氏先陣館』に出演する。
若い世代への言葉は、
「師匠、先輩、また、古くからの芸を範として模写し、なぞっていき芸を鍛えていってほしい」

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