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藤田六郎兵衛
KENSYO vol.72
藤田流笛方十一世宗家 
藤田六郎兵衛
ROKUROBYOUE FUJITA

初舞台から50年──
幼き日の教えこそ、
すべての原点。

藤田六郎兵衛(ふじた ろくろびょうえ)

藤田流笛方十一世宗家。本名昭彦。1953年名古屋市生まれ。’60年一管「中之舞」にて初舞台。’80年藤田流十一世家元となる。’82年家名「六郎兵衛」を襲名。’92年名古屋芸術祭賞受賞。小学校や各公共施設での講演会や、TV・ラジオ・雑誌等にも数多く登場し、多方面で精力的に活動。社団法人能楽協会理事。日本ユネスコ国内委員。名古屋音楽大学客員教授。

 花紫色の長いマフラー。藤田六郎兵衛さんは笛を入れたルイ・ヴィトンのバッグを持ち現れた。ダンディな肩先に風のように鳴っているあの音色。昨年(2008)にリリースした4枚目のCD『大和物語』の六郎兵衛さん作曲のプロローグ。ギターなど洋楽を背景に哀しげな言葉のような、希望のまなざしのような静謐で優しい笛の響き。
 初舞台から50周年を迎える今年。折しも文化庁主催「ほんもの体験・芸術劇場」の小学校での指導で大阪に来ていた六郎兵衛さんを、天満橋のKENSYO編集部のオフィスに迎えてお話をうかがった。広いガラス窓の向こう、暮れなずむ大川を背にした語り口は、これまでの豊潤な歳月を表わす闊達な力に満ちていた。50年目に思うことは、
「やはり、出発点ですね」
それは4歳から始まったご先代の稽古であった。六郎兵衛さんは、祖父母である十世宗家夫妻の嗣子として育った。父君は京都の笛作りが特別に拵えた子ども用の寸法の笛を持たせ、毎日、稽古を付けられた。唱歌という笛の譜は使わず(まだ文字も定かに習わない年頃でもあり)父君が吹く音、指の動きを見て真似るように同じ事をやる。間違っても、どこが違う、と父君は指摘されず、六郎兵衛さんは自ら気づくまで繰り返し吹く。「バカ」と一言、父君が部屋を出て行かれても、独り吹き続ける。父君が戻りまた稽古が再開される。バカの言葉も今は慈愛の響きで思い返され、子ども心に「逃げてはいけない」と思ったあの頃こそがこの50年の原点になっているのだと気づく。お母さまも本来は孫であるゆえ、甘やかされても不思議はないが、「出来て当たり前。失敗は人の口の端に残るもの。親の死に目には会えぬ事。一度引き受けた舞台は死なない限り休まぬ事」と日頃から厳しく教えられた。でも、初舞台の前夜、伊勢湾台風で屋根も吹き飛んだ朝、お母さまは、近くの一膳飯屋からご飯を調達しおむすびを握って下さった。台風一過、5歳の少年が見た青空は台風で犠牲になった人々への鎮魂と共に、両親への感謝の思いで、今も六郎兵衛さんの心底に澄みわたっている。
 9歳で『鷺(さぎ)』の披きの時、子ども用の笛を卒業した。11歳から15歳までの間に『猩々乱(しょうじょうみだれ)』『翁(おきな)』『望月(もちづき)』『道成寺(どうじょう じ)』を披く。普通より10年早い異例の進みようであった。
「本当は子どもの時、厭だったらやらなくてもよかったのよ」
高校時代、お母さまはぽつり、とおっしゃった。それまで、真面目に従順に習い、勤めてきた六郎兵衛さんへの「よくやってきたね」というねぎらいの言葉であった。父君は高校は声楽科に進むように示唆された。これからの時代、和、洋の音楽を学ぶ必要性を考えられた先見の明であった。六郎兵衛さんは、私立同朋高校の声楽科、さらに名古屋音楽大学声楽科に進み、人前で歌う事が苦手であったのが歌に目覚め、授業、レッスン、外国版レコードなどで猛烈に勉強する。バリトンであった。大学を首席で卒業し専攻科を経て母校で5年間、教える。和音、ハーモニーに基づく絶対音階の西洋音楽と、その日のシテ方の声を基にその日の舞台の雰囲気を感じた感性で自由に吹く能管との違いは、六郎兵衛さんにとって、矛盾ではなくむしろ、のちのちの幅広い音楽活動を導くものとなった。
 昭和55年。父君が病に倒れられ、身罷られるまでの三週間、六郎兵衛さんは平常心で父に代わり吹き続けた。亡き後、覚書に「今日、昭彦、道成寺披く。上出来なり」の文言を見付けた時は涙した。それは50年の今日の日への何よりの道標となっていった。
 その年、大倉流小鼓方十六世宗家大倉源次郎さんの誘いで、大阪の百貨店のオレンジルームでの「オレンジ能」に出演。上方の若手の人達との交流が深まり、そののちミュージカル『ザ・ファンタスティック』に出た折は、源次郎さんをはじめ大阪勢が名古屋まで総見に来てくれた。あの時の嬉しさ、楽しさ。十一世を継ぎ藤田六郎兵衛を名乗り、多くの人の輪の中で活躍していく。新聞、雑誌でのエッセーも平明にして深みのある文章で好評を得る。書くためにさまざまな分野の本を読む。豊富な言葉を身に付け、語る時は聞く人の心により強く伝わる実感を手にした。子ども達に体験を通して笛の面白さ、ひいては能楽への関心を導く活動に熱心である。子どもサイズの笛の研究、開発も手がける。世界遺産となった能楽が将来にも生きた遺産として伸びていくための大きな役割を果たす事だろう。
 濃紫(こむらさき)に暮れた大川。六郎兵衛さんの肩先、川の流れの上を白い小鳥が高く低く舞い飛ぶのが見えるよう。CD『カノン』『モーツァルトのメヌエット』。笛は迎合せず、でも、洋楽と仲良く響き合っている。あ、小鳥が蝶々になっている。モーツァルトの魅惑の転調の一瞬。これからの飛翔を予感させて。
 この秋、10月20日、東京国立能楽堂での50周年記念の会が待たれる。

インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一

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